人は普通、不幸や不運が身に振りかかると、急に思弁的になったりする。これは不安から逃れようとする対抗意識みたいなもので、自らの現状をその原因から説明し、対策しようとする。因果関係が明確なことも少ないので、要は個人の確信の度合いだけになったりする。当然「確信した」原因分析にもとづく対策も正しいとは限らない。悪化するのは困るが、間違った対応であっても情報量が増えるので、動かないで何もしないよりはマシだ。こうしてると原因分析の精度が上がるはずである。その永い考察の結果が、食事であったり、方角であったり、宗教であったりするのだが、要は「常に少しづつ間違っている」ということです。厳密には人生は常に多少の誤差があると言うことだ。