
昔からなのですが、『世間的な常識』と云うか『当たり前』と云う本当は何処にも実体のない物差しで、漠然と世界を眺めていた気がする。
要するに、所謂世間一般が当たり前だということを「当たり前だ」と同感していただけで深くも考えたことがなかったが、この仕事をしていろんな方に出会い、同時にいろいろな尺度の物差しにも出会うことが出来ました。
人の五感の認識能力に限界があるように、私なんかが使う物差しだってもちろん万能ではありませんが、世界が如何にシンプルで、そして精巧であるかを垣間見れたら、と思います。
どんどんと浮き世離れしてゆく私を、心のなかの『常識クン』は呆れ返って見ていますね。